HONDA CR-Xデルソル (delSol) 1992-1998 memorandum

かつてみんカラに載せていた記事を移転しています。

2025年に退会したみんカラ(自動車SNS)に掲載していた記事をここに移転掲載します。ここのページでは2015年に掲載していた記事を抜粋し掲載しています。

2015年02月21日
フロアマットを新調。でも安価でした
運転席側フロアマット、新品に替えました。
純正品てはなくオーダーメイド品です。
アルミプレート風のマットは寿命がくるのが早かった。

怪談ばなし。
2007年の12月5日、
当時私は、大手IT会社のADSL販売員として就いていました。
月に1回、会議(という名の気合注入)出席のために、徳島から高松へ出向きます。
公共のもののみ交通費が出るのでクルマは使わず、特急列車を使っていました。
帰りは、池谷駅で乗り換えのため降ります。が、日が暮れてから、時間帯によっては、乗るべき鳴門駅行きの列車が来るまで1時間30分待たされます。
この日もそのタイミングになってしまい、ただ待つのもヒマなので、いけるとこまで、次の駅、次の次の駅まで歩くことにしました。
最近行えてない運動の意味もあり。

風が強い日でしたが、
ちょうど進行方向に向かって追い風になってくれてたので、意外と歩けて、2つ飛ばした教会前駅(無人駅)までこれました。
SECOM 車
ここのイスに座って、汽車が来るのを待っていました。
当然、私一人。
ここに座って、ガラケーのメールチェック等をしていたら、
なにやら線路で カッ    カッ    カッ   と軽快な音が、線路の左から聞こえてきました。
SECOM 車
あまり気にならなかったので、ほんのちょっとしかみえませんでしたが、なにやら白い、でも大きさは大したこと無い物体のようなものがあっというまに左から右へ横切っていきました。
SECOM 車
(再現イラスト)
左奥から聞こえてきて、右奥へ消え去るまで、
およそ5-6秒くらい。
たとえるなら、水切り石のように、等間隔ジャンプしながら。そんな感じ。で、着地のときに  カッ    て音がなってる。
えらい早い速度でしたが、またカップ麺の器でも風でころがったんだろうと、
最初はなんとも思ってませんでした。
気づいたのは、通り過ぎた2秒後。
風向き、逆だ。
SECOM 車
ちょっとまて。
風に逆らってジャンピング直進するカップ麺なんてあるのかよ。
さらに、なかなかのスピードでしたので、このスピードでカップ器を飛ばすとしたならば、
台風並みの強風がいるんじゃなかろーか。
今のはいったいなんだったんだ。 
その数分後に乗るべき汽車が止まったので、
そのまま帰りました。
いまだにあれが何だったのか気になる、不思議な体験でした。
あれから、12月の同じ時期に、
数度、同じ駅へ行き動画撮影の準備を整えて現場待機したりしましたが、
まったく現れません。
結論を急いで超常現象と決めつけたくはないですが、
正体ぐらいは知りたい。
動物でもいいから。

2015年9月26日
サスペンションがヘタっていないことを驚かれた
本日、フロントガラスのウェザーストリップ交換のために、
デルソルをディーラーへ預けました。

その際に言われたのですが、20年経過し、36万キロも走っていて、ワイルドな走りをしていた時期もあるというのに、
全然サスペンションがヘタっていない、という。

納車してから一度も、足回りは交換致しておりません。
サスペンションも、ショックアブソーバも。
それでいて、タイヤハウスに十分なクリアランスが確保されている。
コーナー攻める時のロールはそれなりにあるのだけれど、ホイールアーチとタイヤが接触するほどにまでしなったりはない。
このまえディーラー入りしていた姉妹車のEGシビックは、20万キロを超えた途端にペッタンコになってしまったそう。

2015年9月28日
ウェザーストリップ交換完了
20年の歳月で縮んで裂けてしまったウェザーストリップを、純正パーツが現存しているうちに、交換致しました。 

2015年10月1日
悲運の愛車、シトロエンAX GT
たった1ヶ月の保有、走らせたのは数日という、私にとって悲運の車、
シトロエン AX
この車は、私にとって2台めの車で、生涯の車になる可能性を持っておりました。
納車したのは、95年の初夏。
何年落ちかは忘れましたが、年式はそれほど古くはなかったと思います。

シトロエンのギア形状のエンブレム「ダブルシェブロン」はボンネット中央に位置しているものと、向かって右端についてるのとがあり、私が保有していたのは、中央にあるタイプでした。
ドアは2枚にあこがれていたことから3ドアHBを希望し、グレードはGT、色は赤(ルージュ)でした。
シトロエンAX
1本ワイパー、デザインやボディラインを重視し隠したドアハンドル、ドアポケットには、1.5lのペットボトルが入るホルダー、
国産車とは異なるフォントで、最高速度220km/hと刻まれたスピードメーター。(目盛は230km/h)
当然、マニュアルトランスミッション。
なにより、私の初めての外車で、初めての左ハンドル車でした。

納車して2日め、
エンジンがふけあがらなくなり、やがて走らなくなりました。
自分でどうこうできるレベルではなく、レッカー移動されていきました。

1週間くらいあずけて、治って戻ってきました。
3-4日ぐらい乗って、また動かなくなりました。
そしてまたレッカー移動となりました。

また1週間くらい預けました。
3度めの正直で、今度こそ治ったと思ったのですが、今度はマフラーが真っ赤に焼け、白煙をもくもくと出し、まったく加速しなくなりました。
感覚的に、シリンダーがひとつ死んでいるような。
大変危険な状態なので、もう一度、預けました。
今回は深刻なので、 修理は自分のところではなく、(95年当時に代理店だった)マツダ・ユーノスに入っているとのことでした。そして、これからはこのマツダで診てもらうようになるからと言われ、
度重なる不具合についても、現状を知るべく、様子を見にディーラーへ行ってみました。

行ってみて驚愕。

正規のピットクルーではなく、
マツダ社員ではなく、他方から雇われたのようにも見える、私服の年配の作業員と、身内から手伝いに連れてきたのかどうみても小学生の男の子、の、ふたりだけ。
場所も、 通常のピットガレージではなく、隅に追いやられた離れのような場所。

まあそれでも、代理店だし、やせてもかれてもディーラーなのだから、そこはしっかりとした体制があるのだろうと、自分にいい聞かせて妥協しておりましたが、
マフラーは真っ赤に焼け、白煙を撒き散らし、まったく加速しないという、かなりの深刻な状況であるのに、
「オイルを交換してみよう」
「プラグを交換してみよう」
という、
そんなんで治るなら俺でも治せるわといいたくなるほど、その年配の人の考え方がど素人。

・・・・・これはだめだ、と判断。     乗り続けることを断念致しました。

故障連発のせいでほとんど自分が乗った記憶がありません。
写真も、一枚もありません。撮影自体をしていないのです。
本当に、悲運車でした。

2015年11月10日
中高生へ、街を走るクルマは「監視カメラ付き」だと思ってくれていい
今日は午後から夕方にかけていろいろ走っておりました。
免許もなくクルマに興味のない学生さんがここを見ることはほとんどないとは思いますが、
どうにかならんのかその四六時中スマホいじり

ドライブレコーダーの保存映像がyoutubeにて「晒し」動画として公開されているのは周知の通り。
私はそのような行為をしないという主義を貫いてきましたが、
これほどにも多いとほんとに学校に投書してやろうかという程に憤る、
記録された動画ネタの第一位、「中高大学生のながらスマホ」。

車運転してて交差点で一番前で赤信号停止なれば、
眼の前を横切る自転車、歩行者学生がことごとく、歩きスマホ、自転車スマホで、
まったく前を見ておらず。
私のドライブレコーダーにしっかり録画されていきます。

ドラレコ装着車は私だけではないので、町を走る至る車のドライブレコーダーに、その行動の一部始終が、監視カメラのごとく記録されていることに、いい加減気づいて欲しいのですよ中高生諸君。

まさかいまさら「ながらスマホの危険度」を知らないなんてことはないですよね。
そんななか検索して見つけたこの記事。
「ながらスマホ」の事故で重傷を負わされた娘の親がTwitterで怒りの声 http://news.livedoor.com/article/detail/10805524/

2015年11月12日
教習所といえば、
私らの世代が取得した1986年あたりでは、
各検定落ちずにすんなり通った場合でも約1ヶ月で、14-15万くらいの費用で済んだ記憶があります。
ところが、2015年時点ではネット検索してみると相場20万超えなんですね。物価あがったんだなーと感じます。
県警での検定は難易度が高すぎると聞いてたので遠回りではあるが教習所通いましたが、とにかく目的が「スポーツカーに乗りたい」だったので、免許を取得するのに段階を踏まねばならないのが非常にもどかしく思っておりました。

僕ら昭和世代は、
スーパーロボットや特撮を見て育ちました。
少なからず、バトルジェットやパイルダー、ウルトラホーク、コスモタイガー等を操縦する遊び妄想がありました。
自分の部屋のイスをコクピットに見立てて、机の上に手書きのメーターパネルをおいて「ごっこ」遊びをしたものです。
それは、操縦することに対する喜びと憧れ でした。

当然架空の戦闘機なんて、実際に操縦できるわけないのは子供ながらわかっていました。

で、 ”操縦できる”実現に一番近い存在が、自動車でした。

そんなさなかにブーム到来したのがスーパーカーで、
クルマにもカッコイイのあるんだ、と、それらがすべて連結されて、

大人になったらスポーツカーに乗りたい、という実現不可能ではない夢を抱いたんです。

なので今の私は、
値段とレベルの違いはあれど、子供の頃の夢だった、スポーツカーに乗る を、達成できてるわけであります。
私の敬愛してやまないスポーツカーの定義、
二人乗り
2ドア
ミッドシップ
リトラクタブルヘッドライト
フロアシフトマニュアル5速以上
全高1300mm未満
希少性
の7つのうち、デルソルは5つクリアしておりますゆえ。

2015年11月17日
CR-Xデルソル生誕21年
タイトルの通り、1995年11月17日初年登録ですので、本日21周年到達しました。
ずっと傍らにいるおかげで、レア度の実感がほとんどないのですが、
たまに対向する車内の人が驚いた顔でこっちみたり、
後続車がスマホ写真をとってそうなしぐさしているのをミラー越しにみたりすると、
絶版車の仲間入りしたんだなーと、感じるようになりました。
だから何をするわけではないですが、
通勤に通院に買い物にイベントにこれからも現役で乗り続けます。

2015年11月20日
もうすぐさよなら、ダイヤレーン

80-90年代、
徳島市内のボウリング場は住吉ボウル、スエヒロボウル、ダイヤレーン  のビッグスリーが健在していました。
ボウリング自体はあまりやらなかったものの、必ず備えたゲーセンが私のテリトリーでした。

主に行ったのは、今年度末をもって閉館する、佐古ダイヤレーン。
また思い出の地がひとつ消えます。

20代のころは、土曜の夜となればほぼ毎週行ってたものです。
海部郡へ移転してからは遠すぎて行くこともままならなくなり、鳴門に戻ってきて以降も、そのままなしくずしに行かなくなりました。

本日、バッテリーを交換しまして、そのテストドライブを兼ねて、ダイヤレーンへ行ってまいりました。

ダイヤレーンは、徳島市佐古にあるボウリング施設。
昭和47年にオープン。
私が5歳のころです。

徳島ダイヤレーン

この駐車場に停めると、上からボウルの転がる音が響いてきて、いやでもテンション上がったものです。

土曜の夜ともなれば、表玄関の駐車場は満車状態になるのでいつもこの奥まったところにある駐車場においてました。

徳島ダイヤレーン

ダイヤレーンでプレイしたゲームも多いです。
あのころはストリートファイターIIが大全盛期で、友人は何千円もつぎこんでは対戦プレイをしていました。
ストIIヒットのおかげであのころは猫も杓子も格闘ゲー、筐体はほぼすべて格闘ゲームでうめつくされてました。
バーチャファイターがデビューして1回200円プレイのころでしたし、
SNKも元気なころでした。餓狼伝説、龍虎、KOFもこのころにデビュー。
私はバンパイアしてました。サスカッチかザベルがマイキャラ。
ザベルはメタラーつながりということで。
勝利のポーズのときにアイアンメイデンのジャケイラストっぽくなるのが好きで。
基本格ゲーは苦手だったので、レースゲーのほうを。
デイトナUSAにはめちゃはまったです。あの重いステアリングがたまりませんでした。
訪店時はその面影はなく賭ゲーに占拠されておりました。

徳島ダイヤレーン

友人らは会員メンバーになったらしく、裏のロッカーなんかも使用してたし、
レーンも、スタッフさんの計らいでいいレーン(←あるらしい。回転かけてもまがらないダメレーンや、逆に曲がり過ぎるダメレーンが。そういうのを回避してくれてた)を選択してもらえたり、アメリカンスタイルといって2本のレーンを交互に投げる方式も使えました。

徳島ダイヤレーン

徳島ダイヤレーン

当然みな、マイボールを持参してました。私だけはハウスボール。

徳島ダイヤレーン
このスクリーンに、好きなPVを流したりできたんですよね。でも私の見たいPVは全然なく。
当時はやたらTRFのEZ do dancce が連発して流れてました。

徳島ダイヤレーン
この看板とも、さよなら。

トップページへ行くには