かつてみんカラに載せていた記事を移転しています。
2025年に退会したみんカラ(自動車SNS)に掲載していた記事をここに移転掲載します。ここのページでは2016年に掲載していた記事を抜粋し掲載しています。
2016年02月17日
[むかしばなし]男3:女3、車2台、割り振りはこうなる
当時私、20代。新卒社会人になったばかり。
彼女いない歴=自分の実年齢 を記録更新中、
もちろん、はやくこの更新記録をストップさせたい気持ちはありました。
女友達はいることはいましたが、なかなかそれ以上の関係に発展しないことが大半でした。
そんなとき親睦を深めるチャンスが。
男3・女3で、県外のレジャーランドへ行こう、というプラン。
男は、友人Aと、友人Bと、私。
誘って乗ってくれたのは顔見知りでありながら一線を超えられずにいる微妙な関係の女子3人。
車は男がそれぞれ動かし、3台でそれぞれ二人ずつ乗って、3組ツーショットで行く計画でした。
あくまで計画でした。
割り振りを話したら女子3人がツーショットなんて、なんか重い、 と拒否。
まあ、女子側はとくに男をつくりたい目的で誘いに応じてくれたわけではなさそうなので、へんに押し通して行くこと自体やめられても困るから、クルマ1台で6人は定員オーバーだから、2台で行くことにて納得してもらいました。
僕のミラージュと友人Bの4ドアセダンの2台。
問題は、割り切れない男女乗車割り振り。
2台のクルマに女3と男3を分けねばならない。
男2は運転係だから動かせないとして。
しかし実際は、こうなった。
なんなのこの出発前からの敗北感。
はずれクジひいた??
友B、ハーレム満喫。
・・・・のように見えたが後日談で聞いた話、
友Aが女子たちに評判よくなくて、友Aが私のミラージュの助手席に座った時点で女子達の乗車拒否確定したらしい。
さらに友Bもハーレム状態でウハウハだったかというと全くそんなことはなく、道中ずっと女子3人だけでのトークになり友Bは会話に混ざること許されず、ただの足係と化した模様。
現地でも、女子は3人で落ち合う時間だけ伝えて姿くらまし。
結局友Bまざって3人でクルマ談義。
何しに来たんだワタシら。
そして、帰りも、行きと同じ席順で。
結局、道中も現地でも帰県後も何も起こらず、始まらず、とってもつまらないドライブイベントですべて終わりました。
つまりは最初から女子3人はその気ゼロだったということで私ら男どもは見事に翻弄されて終わったという事。
週一の貴重な休日、テンションゼロで終わった一日でした。
そしてしばらくの間、私は女子の塊に近づくことにトラウマを感じ、ますます彼女いない歴を更新していくのでありました。
後日、友Bから別の女を誘ってのリベンジプランに誘われましたが、即答で断りました。
おわり。
2016年03月02日
吸盤は付かない、両面テープはイヤ、なダッシュボードに「耐震マット」を試してみたところ
ナビホルダー、スマホホルダー、レーダー探知機、その他のアクセサリーについてですが、私は後付け設置が嫌いであまりそういうものを設置しません。
まずスマホ自体が嫌いなのでホルダーの用事無し。
レーダー探知機も法定速度を越えなければ全く必要なし。
全ての室内のすべての箇所、穴をあけるのも両面テープを使ってアクセサリーをつけるのも拒否。
しかし、後ろ向けドライブレコーダーおよび抑制LEDを設置する必要性が発生しました。
しかし吸盤はつかない。デルソルのダッシュボードは柔軟性があります。
でも、最近になって、こいつは使える、と購入したのが、耐震マットです。
本来の利用方法とは異なるものの、安定して密着してくれるすぐれもの。
リアを向いたドライブレコーダーを固定させています。
とはいえ夏場は溶けてしまいました。結局両面テープに頼らざるを得なかった。
2016年05月13日
販売店の担当への仕打ちが酷すぎる
リコール隠しの事件真っ只中の頃、買い物に行く際に必ず前を横切る三菱自の販売店、
いつ通過しても、ゼロカスタマーの状態が路上からもわかる。
私、過去にちょっとだけ自動車販売店(ディーラーではない)に在籍したことがあり、ホテルクレメント徳島でeKスペースの発表会に参加したりしてその三菱自の担当さんと面識あったのですが、
販売店というのはただ単にに自動車を仕入れて販売しているただの自動車屋サンなだけなので車両の開発どころか三菱自動車の社員でもないのに、苦情やクレーム、モンスターカスタマーの利き手をしなければならない実情、
どちらかといえばディーラーだってメーカーに裏切られた立場、一般客は販売店とメーカーの関係なんて知らないから。
ただ商品を仕入れて売っているだけって知らないから、たまたま主力に扱うのが三菱自動車で看板を借りてるだけだから。
三菱自動車から派遣されて店構えて売っている感覚としかみてない人多いから。
まだゼロ客のほうがマシ、でしょうか。
逆にいつ何が起こるかわからない恐怖、のほうがきついか。
2016年09月1日
懐かしエピソード 「フォード・フェスティバ」
地元スーパー、キョーエイがクルマを売っていた時期がありました。
販売店の名前は、「オートラマ徳島」。
オートラマというブランドは、マツダとフォードが提携した、フォード車販売チャンネル。
キョーエイだけでなく、ジャスコ、フジ、マルナカ、など異業種であるスーパーマーケット企業が参入していました。
1986年、当時の私は専門学校生1年生。
そのオートラマからフォード・フェスティバというコンパクトハッチバックがでました。
母親がキョーエイに勤めていたので、まだ免許すら持っていなかった私に社販で安価で買えるとパンフレットを持ってきてくれたのが知るきっかけとなりました。
もちろん買えるわけないし、このころからスポーツカー派の私としてはユーズドの130Zあたりを狙っていたのでしたがそこそこ関心はありました。
友人同級生のひとりが、
このフェスティバ・キャンパストップのオーナーとなりました。
1300cc。トランスミッションはフロア5MT。
この5MTというのも羨ましかった。当時は大半のMT車は4速が定番だったから。
5MTというのはGTカーの証、みたいな。
学校が終わった後で、友人の駆るこのフェスティバの助手席に乗せてもらい、いろいろなところへ走り楽しい思い出を作ってもらいました。
土曜の夜の鳴門公園が、週末の定期イベント。
毎週、繰り出しては、その帰りに24時間営業の喫茶店に寄ったりしたものです。
運転させてもらったことはありませんが、助手席で見る限りではエンジンの吹け上がりは軽く、空ぶかしでもいとも簡単にレッドゾーンへ回ってるのを見ました。
18-19歳といえばクルマに対してアレしたいコレしたい、て願望満載の年頃なわけで、そのフェスイティバも例外にあらず、友人の手により、
ステアリングはナルディ・ウッドへ、
アルミホイールが装着されふっといタイヤに、
マフラーはTRUST、当然音は従来の音域を超越。
ホーンは当時おお流行りだったボッシュの「ビン・ビン!」てなるホーン、
カーオーディオはケンウッドのどでかいリアスピーカー・イルミネーションつき、
当時まだ規制前だったフルスモークガラス、
カヤバのシヨック&サス交換で車高ダウン。
そしてマストアイテムだったパーソナル無線。
正月仕様としてナイトライダー・イルミネーション。
専門学校時代は、免許を取得するまではフェスティバの助手席で、免許を取得しミラージュのオーナーになってからはつるんで走りに、18-19-20歳の懐かし楽しい思い出です。
そんなフェスティバオーナーの友人、学校卒業とともに手放したそう。
そして理想のハイソカー系を手に入れたんだとか。
フェスティバはヒット車となりましたが1993年にフルモデルチェンジ、
二代目は「ややクーペ」みたいなスタイルに変貌、売れ行きは今ひとつだったらしいです。